障害者と健常者の壁を取り払うことは可能なのか?

障害者運動が1960年代あたりから活発になり、今から30年~20年くらい前になると障害者の就労への活動が盛んになっていった。

しかし、その頃は障害者たちが主体ではなかった。

神戸のプロップステーション
東京の東京コロニー。
大分の太陽の家。など。

パソコンと障害者の就労を結びつける試みがでてきた。
行政のHP作成を、障害者へ外注するなどといった障害者のITスキルを上げる事が主流になった。
Micro〇〇ftも、積極的に支援に関わったし、宮城県で言えば、仙台市泉区第三セクターの「テクノプラザ」で、こっそりと障害者の就労講習が行われたりしていた。

宮城県の高校校歌集のHP作成をしたりしてたのは、県民にはほとんど知られる事もなかった。
(家に、当時のHPをCDにしたのが、まだあるはずだけど)

一気に障害者の就労・雇用が進んだのは、間違いなく現LITALICOの誕生に他ならない。
※LITALICO創業直後には「テクノプラザ」とも繋がりがあった。

そして、この後、障害者就労事業所が雨後の竹の子で乱立し今に至っている。
乱立する訳は、まあ、障害者がお金に変わってしまったのだろうと自分はそう捉えている。
(全部の事業所がそうでもないのですが、大半はそうなってしまった)

しかし、障害者の雇用が注目されるようになって、新しい光も出てきたと言うことは、もう一つの希望でもある。

地域のためとか社会のために、活動や起業する人がでてくるようになった。

「浦戸の花物語」の羽生さん、東海市の寝たきり社長など。

readyfor.jp


彼らのような人が、当たり前の社会になった時、もしかすると、障害者と健常者の壁が一気に取り払われる時なのかも知れないと思う。


そして、10月9日(祝)、仙台では「みやぎアピール大行動実行委員会」の行進が行われていた。
私たちはこの街で生きてはいけないの?

※こういう活動を見た人々が、障害者の総意とだけは受け取って欲しくないと思う。


時代は変わってきているのに、自ら壁を作るようなことをまだしているしてると、どうしても感じてしまう。

※勘のいい人はわかると思うのですが、あることに瓜二つなのです。


なにを語りたかったのか、まとまりもなくなってしまったのですが、確実に時代は変わり、障害者でも志をもてば、社会と共存し応援してもらえる時代が来つつあると思っています。

5年後には、再び相模原事件のような出来事が訪れない社会になって欲しいと、選挙公示日前に願うのです。